札幌から行く 『温泉宿』

    温泉宿 「宿泊」 好きな札幌人。風呂、食事、部屋、もてなし・・・ 「湯宿をめぐる冒険記」 & 「雑多な温泉話」

    「定山渓温泉料理店置屋組合」の看板

    ⇒鉄道開通で発展 戦前から花街

    定山渓温泉料理店置屋組合 定山渓温泉街の路地裏を歩くと、朽ちた木造家屋の軒先に、こんな看板を見つけた。一部かすれて読み取れないものの、目を近づけると「定山渓温泉料理店置屋組合」の文字が浮かび上がる。

     札幌の奥座敷、定山渓    

     1918年(大正7年)の定山渓鉄道開通で、温泉地としての発展に伴い、芸者を抱え込む料理店が軒を連ねるようになった。花街の色彩を強め、第2次大戦後の復興とともに賑わいを増す。

     同組合加盟の料理店は1952年(昭和27年)時点で、音羽、みよしの、白樺、銀嶺荘、桜亭、末広、一力、ときわ、まるまんの9軒だった。

     「もはや戦後ではない」4年後、祇園、清元、きんちょう、米若、三筋が新規加入。銀嶺荘、ときわが旅館に鞍替えし、一力、まるまんは廃業により、10軒に。



    ⇒芸者212人 三味線の音色と嬌声で華やぐ

     戦後の最盛期、芸者は212人を数えた。今で言うぬくもりの宿ふる川の近くに、芸者を派遣する受付窓口(検番所)があり、併設の稽古場で、芸者たちは定山渓小唄や踊りを学んだという。

     三味線の音色と芸者の嬌声で、温泉地全体が華やぐ。闊歩するのは観光客・団体客ばかりではない。豊羽鉱山(閉山)で働く人々に加え、出張族も押し寄せる。札幌オリンピック開催(1972年・昭和47年)まで、札幌市街にホテルが少なかったからだ。

     定山渓駅は、各旅館の番頭が幟と旗を持って客を出迎え、翌日は見送る芸者もつめかけ、ごった返す。まさに繁栄を極めた。



    ⇒主役はコンパニオンへ 平成2年までに全員引退

     定山渓鉄道は1969年(昭和44年)に廃止されたものの、観光ブームで旅館への客足は絶えなかった。しかし、花街としての賑わいは、1970年代(昭和45~54年)頃から、下火になっていく。客の嗜好が変わり、芸者遊びの需要が減少。1980年代(昭和55~平成元年)に入ると、宴会の主役を「ミニスカートのスーツを着こなす若いコンパニオン」と「カラオケ」に奪われる。

     三味線の演奏に合わせて歌う「粋な客」は姿を消し、バブル景気後期の1990年(平成2年)、最後の芸者が引退したと聞く。

    提灯
     現在、定山渓の温泉街を歩いても、花街だった面影は感じ取れない。岩戸観音堂の天井に飾ってある、芸者たちが奉納した名前入りの赤提灯と、古ぼけた「定山渓温泉料理店置屋組合」の看板だけが、歴史を物語る。



     1866年(慶応2年)の開湯から、140年余の時を刻んできた札幌・定山渓温泉。湯煙が舞う街を歩き、往時をしのぶ光景を探した。(きまぐれに掲載します)



    【参考資料】
    さっぽろ文庫59「定山渓温泉」
    定山渓温泉のあゆみ
    ・朝日新聞北海道版連載「定山渓-奥座敷ビフォーアフター」
    ・ようこそさっぽろ(ウェブ)












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